貴族組合

KIZOKU KUMIAI YOSHIMI

日本の歴史と伝統を礎に、
高貴な文化の継承と発展を志す

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貴族組合「誼」

組合について

貴族組合「誼」は、日本に今なお息づく貴族文化の正の価値を守り、継承し、
日本の歴史と伝統に根ざした高貴な文化の発展を目的として設立された組合です。

伝統の継承

長い歴史の中で育まれた高貴な文化・礼節・精神を次の世代へ伝え、退廃した俗流から守り抜く使命を担います。

対話と連帯

組合員が緊密に連帯し、旧華族をはじめとする諸方面との対話・交渉を通じて、団体としての声と影響力を高めます。

文化の守護

アジアをはじめとする諸地域での貴族文化の成熟を支援し、日本発の高貴な文化ネットワークを世界へ広げます。

設立目的

貴族文化が今も色濃く残る日本社会

日本社会に今なお強い影響力を保持する旧華族。戦前は様々な特権を保持していましたが、敗戦による華族制度廃止以降も皇室の近くに居座り続け、長い歴史の中で作り上げた権威を背景に政財界に対する根強い影響力を今なお保持しています。貴族制度のもたらす正の価値——退廃した世俗流行から歴史伝統に根ざした高貴な文化を守り抜く防波堤の役割——を正しく発揮させることが「誼」の第一の目的です。

「誼」の主張と組合活動

企業に組合があり組合員が団体交渉権を持つように、貴族組合「誼」を組織化することで、日本の旧華族の特権に対抗する組合文化を作り、組合員による団体交渉権を確立します。「誼」の方向性は旧華族を打倒するのではなく、対話と交渉のスタンスを貫きます。富と権力は国を動かす両輪ですが、「誼」が追求するのは権力——すなわち発言力・影響力の確立です。

士族の存在理由と身分制度の意義

情報が氾濫する現代において、同じ問題意識を持つ人々が出会い、連帯する機会は少なくなっています。皇室・旧華族の集まりが今なお残っている日本社会はそれだけで大きな財産です。まずは同じ問題意識を抱える人々が小さな組織の中で話し合い、戦略を練り、その後に旧華族との交渉を進めることが近道です。

アジア・アフリカ・南米への貴族文化支援

アジアやアフリカや南米において、その国の内部からの貴族文化の意識の高まりを前提に、日本人としてできうる支援をすることで貴族文化の導入を実現させることを「誼」は構想として持っています。数十年・数百年かけて諸国で貴族文化を育てることが、日本の国益に繋がり、西洋の一方的な支配から守る最善の戦略と考えます。

協会概要

我々は権利を主張するだけでなく、義務を背負うことを誇りとします。
それこそが貴族組合員と単なる特権要求者とを分かつ一線です。
     貴族組合「誼」 代表 石田 晃一
     広島県福山市三之丸町8-7
      代表者設立メッセージブログ

— 貴族組合「誼」設立趣意書より

華族の歴史

1869年(明治2年)から1947年(昭和22年)まで存在した近代日本の貴族階級「華族」の歩み

1869

華族制度の創設

版籍奉還と同日の明治2年6月17日、公卿(公家の堂上家)と諸侯(大名)の称が廃され「華族」と改められた。公卿142家・諸侯285家の合計427家が「華族第1号」として誕生。

明治2年
1871

廃藩置県と勅諭

廃藩置県により旧大名華族が藩知事を解任。明治天皇は華族全戸主に「華族は国民中貴種の地位に居り、衆庶の属目する所」と勅諭し、日本型ノブレス・オブリージュの原点となった。

明治4年
1877

学習院開校・第十五国立銀行設立

華族の子弟教育のため学習院が開校。同年、「華族銀行」と呼ばれた第十五国立銀行も設立され、華族制度の整備が本格化する。

明治10年
1884

華族令の制定・五爵制度の導入

明治17年7月7日に華族令が公布され、公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の五爵制が確立。504家に叙爵が行われ(公爵11家・侯爵24家・伯爵73家・子爵322家・男爵74家)、華族制度が完成する。

明治17年
1889

大日本帝国憲法の発布

大日本帝国憲法が発布され、貴族院が設置される。有爵者は貴族院議員に選出される特権を持ち、公侯爵は終身任期の貴族院議員となった。

明治22年
1947

日本国憲法施行・華族制度の廃止

昭和22年5月3日施行の日本国憲法第14条2項に「華族その他の貴族の制度は、これを認めない」と定められたことにより、78年の歴史に幕を閉じた。

昭和22年

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